3章、古代文明の神々

チュニジア紀行(1990年夏)

ぼこりの道に降りたものの、炎天下の熱砂の路上を数十歩進むと、動けない。疲労感で座り込んでしまった。路上でリュックを投げ出し、しばらく放心状態であった。すると、そのぼくの前をベドウィンがラクダをひきつれ通り過ぎるのであった。急にぼくは我に戻り、カメラを引き出し、写真を撮らせてくれとお願いしたのである。ぼくはフランス人がサハラ砂漠をバカンスを楽しんでいることを知っていた。

その客たちが安く、快適なホテルを利用しているのを知っていた。ぼくもその中にもぐり込むつもりでいたのだが、ホテルではジャポネはノンと言われてしまった。彼らの自己中心的なやり方を思い知らされた。満室ではないことはわかっていたのだが、意地の悪い奴らと感じながらも気を持ち直し、戦う気持ちがわきでたのであった。丘の上に高級ホテルがあるから、ジャポネはそこへ行けと言っていた。絶望的な気持ちになり、座り込んだ。

朦朧とした感覚のうちに、前方からロバを十数等連れた子供がこちらに、進んでくるのであった。神の救済だ!神の使者だ!助けに来てくれたと感じるのであった。

ベドウィン , 1989.

エジプト紀行(1991年)

きながら、ナイル川が速いのには驚いた。古代エジプト人は、太陽が沈むこのナイル川西岸の砂漠をあの世がある場所と考え、墓地であると考えた。地下を支配するオシリス崇拝、太陽神ラーの崇拝と古代エジプト人は二つの宗教をもち、相互影響を繰り返し、成熟したのではなかろうか。

「歴史の父」と呼ばれたヘロドトス(ギリシア人)の『歴史』(岩波文庫)を読み始めた。エジプトに関する興味深い箇所を書き出してみた。

「エジプト人はこの国独特の風土とほかの河川と性格を異にする河とに相応じたかのごとく、ほとんどあらゆる点で他民族とは正反対の風俗習慣をもつようになった。例えば女は市場へ出て商いをする。男は家にいて機織をする。小便を女は立ってし、男はしゃがんでする。一般に排泄は屋内でするが、食事は戸外の路上でする。どうしてもせねばならぬことでも恥ずかしいことは密かにする必要があるが、恥ずかしくないことは公然とすればよい、というのが彼らの言い分なのである。」

彼らの一致しているところは、一年の単位を発明したのはエジプト人であり、一年の季節によって十二の部分に分けたのもエジプト人が市場最初の民族である、ということである。彼らはそれを星の観察によって発見したのだと言っていた。